参加者からのメッセージ
参加者紹介/「収録曲名」
「花の冠」について
2011年3月11日の東日本大震災から1か月、この詩が生まれました。
作詞の大越桂さんは、仙台出身。
お母さんの手のひらに文字を書いて作詞する筆談詩人です。
桂さんは、1989年819gの未熟児で生まれ、重度脳性麻痺、未熟児網膜症による弱視、13才で気管切開により失声し、筆談で「言葉のコミュニケーション」を始めました。
詩集「花の冠」は、仙台市に住む桂さんが、復興支援チャリティーコンサートのオリジナル曲のために書いたものです。
けれども、「がんばろう」「地震」「津波」の言葉も出てきません。
ゆっくりでいい、生きていていい。そう思える、やさしい歌です。
「嬉しいなという度に、私の言葉は花になる」
この詩は、仲間たちによって広がり、その後、松浦真沙さんが合唱曲として作曲、「今は小さな種だけど、いつか、みんなが笑顔の花になるように」との、復興の願いが込められた歌になっています。
「わせねでや」について
宮城の方言で、「忘れないで」を意味します。
震災で亡くなった方たちへの追悼の意味と、大災害を忘れる事無く、いつまでも後世に伝えなければならないと言う想いを込めた歌になっています。
原詩を書いたのは、宮城県塩釜市桂島在住の内海和江さん。
大震災の津波の影響で、一時期声が出せなくなりながら、避難所にて一編の詩を綴りました。
その詩に込められたのは、故郷や家族を想う優しい気持ち。それを後世に残しより多くの人にその惨劇を伝えるために、ヒザシさんが曲を付け、歌われるようになりました。「震災で命を亡くした人々のためにも」「この震災の恐ろしさを後世へ語り継いで行くためにも」「もとあったあの美しい風景を、再び取り戻すためにも」との決意で。
仙台南高校の学生たちが、今もこれからもずっと歌い続けて行く歌です。
「がんばれニッポン」について
体操・オリンピック3大会金メダリストの塚原光男氏が作詞作曲。
現役時代から 歌・ギター演奏はプロ級の腕前。
大震災以降、何度も東北にボランティアで出向く。氏の温かい励ましの気持ちが込められた曲。今回は、オリジナルVer.と共に、日本を代表するコンポーザー前田憲男氏によるスペシャルエディション、『吹奏楽版』『ビックバンド版』も収録。
後援者からのメッセージ
支援企業・団体・個人
*順不同・敬称略
(株)アプリケーションプランニング(CSR活動)
コムソフト(株)(CSR活動)
(株)チェックメイト(社会貢献)
NPO法人新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会
田園治療院(社会貢献)
(有)ケイティーフーズ(社会貢献)
松本クリニック銀座(社会貢献)
(株)ソフトウエア技研(CSR活動)
システム開発(株)(CSR活動)
太陽情報(株)(社会貢献)
(株)ソフトヒューベリオン(CSR活動)
(株)ネオライフ(社会貢献)
(株)ワンオールシステム(CSR活動)
(株)ソフテイ(CSR活動)
KPY Consulting(株)(CSR活動)
(株)おもつな(CSR活動)
(株)アイ・ケイ・シー(CSR活動)
(株)COASS(CSR活動)
(株)ストロングスタイル「日日新宿本店」(社会貢献)
メディア情報システム(株)(CSR活動)
(株)鈴の音(RINN COFFEE)(社会貢献)
(株)オープンセサミ(CSR活動)
シフル(株)(CSR活動)
(有)龍昇堂(社会貢献)
太郎倶楽部(社会貢献)
染谷装飾(社会貢献)
(有)トータルケア なの花(CSR活動)
光伸メディカルクリニック/AIONメディカルスタジオ(社会貢献)
(株)ケイ・エス・テクノロジー(CSR活動)
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収支報告2017年