
前田憲雄 ジャズピアニスト |
前田憲男さまが旅立たれて4年が経過いたしました。しかし未だに多くの音楽家がコンサートで前田先生の作品を演奏されています。偉大な前田憲男の残した音楽は、「一般社団法人前田憲男音楽記念協会」様が後世に伝えてくださいます。
私たちNPOも、前田先生の音楽と共に、一貫して被災地支援活動を続けられ、特に被災地子供たちの未来を案じておられました前田先生のお気持ちと、東日本大震災復興を願っておられたお気持ちを、これからもお伝えさせていただきます。
JAFA復興継続支援プロジェクト 実行委員会
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塚原光男 五輪体操金メダリスト
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私事ですが、今年3月末で朝日生命体操クラブは終了いたします。49年と言う長きに渡り塚原体操センターをサポートくださった朝日生命様と、ご理解とご協力をいただいた皆様に感謝いたします。「体操はあらゆるスポーツの原点」との理念のもと、また新たな「塚原体操センター」として、子供たち育成に励んで参ります。新たな出発が出来る事に感謝するとともに、改めて被災した方々に想いを寄せ、このプロジェクトに参加協力させて頂きます。まだまだ苦しい想いをされている方々の為に、これからも被災地の皆様に寄り添う復興支援活動を続けて参ります。
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さとう宗幸 歌手
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あの大震災から12年が経過します。
12年前の記憶、何もなかったなら何も思い出せない事でしょう。思い出しても薄っすらとしたセピア色の写真の様に、それは幸せな思い出の一つに過ぎないのでしょう。毎年この季節には、ひっそりとスズランの花が咲きます。「君影草」とも言われるこの花は、うなだれた小さな白い花を咲かせます。被災した人々の記憶は今も尚、色あせる事もなく、色鮮やかに昨日の事のように思い出されるのです。
「スズラン」の花言葉「幸せが再び訪れる」。スズランの花が咲き誇りますように。
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加藤登紀子 歌手 |
私の宝物・母からの言葉
「登紀子、人はね、どんな時も、あなたと私という関係で向き合って行けばいいのよ。たとえ戦争していても、一人と一人の関係になった時には、人は皆普通の人になれる。国は関係なくなるのよ」
対立軸がある事で、憎しみや分断を作り時に増幅してしまう。これが争いになってしまう。震災から12年が過ぎ、復興は進んでいるものの、被災地域、被災状況、財産状況等によって復興の格差が生じてはいけないと思っています。
歌を唄っていく一人として、あらゆる国境や分断は、愛でつながれるものだと思っています。私の「Imagine」が皆さんに届きますように。登紀子
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あいはらひろゆき 作家 |
昨年、令和4年6月27日逝去されました。突然の事で残念です。
私どもでは、ジャッキーのご後援や、毎年メッセージをいただき、大変お世話になりました。当プロジェクトも大変気にかけていただき、本当に感謝しかございません。
仙台出身の相原氏は、ジャッキーと共に被災地の子供たち支援を積極的に行ってだきました。子供たちの未来を優しく見守る相原氏の精神は、絵本「くまのがっこう」として、これからも生き続けていきます。私たちも、相原氏の震災復興に対する想いを今後とも語り継いで行きたいと思います。相原博之氏のご冥福をお祈りいたします。
JAFA復興継続支援プロジェクト 実行委員会
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佐藤敬子
福島しあわせ運べるように合唱団代表
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このCDは「東日本大震災参考資料」として、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下のお手元に届けられていると伺い、私たち被災地では、大変驚きながらも喜んでおります。
お代替わりやコロナ禍の影響で、皇室の皆様のお出ましもままならない状況、被災地を気にかけていただいている皇室の皆様に、子供たちが元気に過ごしていることを、歌や演奏を通じて少しでもお伝えできることを幸せに思います。
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1995年1月17日の阪神淡路大震災から2週間、改めて神戸の街並みを見た時、故郷神戸が消えてしまったと思うくらいの衝撃、そして絶望感に包まれました。その衝撃のなか、突然こみあげてきた思いを記した曲が「しあわせ運べるように」です。
被災後に突然にできた歌であり、私の人生を変えたものであり、歌の持つ力と、自分の宿命と言うか、命が助かった者の義務と言うか・・・。
復興を願ってできたこの歌には、「生きたくても生きることができなかった多くの命を忘れない」と言う強い思いを込めています。この事を思って歌い継いでいただきたいと願っております。
臼井真 神戸親和女子大学 准教授 作詞作曲家
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私は音楽には大きなチカラがあると信じています。
今回、このプロジェクトに参加したのは、東日本大震災から12年ですが、復興支援を続けていること、それを私の信じる音楽のチカラによって実現するものだからです。
東日本大震災同様、今後のウクライナ復興にも長い時間と多くの支援が必要になります。この「希望の大地」は、現在ウクライナへの「応援歌」として歌っている曲ですが、その想いは、多くの災害や悲しみを乗り越えてきた日本の皆様にも共通します。ウクライナの大自然と美しい街並み、東日本の美しい四季の風景を想像して聴いてください。
私が日本にご縁を頂いたのは、チェルノブイリ救援コンサートで招いて頂いたことでした。遠い国で起こった悲劇に対して、日本からの支援は他のどの国よりも長く多かったのです。私は日本の皆様に心から感謝して日本での音楽活動を始め、23年になりました。
私の故郷ウクライナは困難に直面しています。でもウクライナの人々はがまん強く決して諦めない人たちで、音楽をはじめ豊かな文化を持っています。地下に避難しても、誰かが歌い出すとみんなで歌って元気を取り戻す。そんな光景が何度も見られました。
私は音楽には大きなチカラがあると信じています。私自身、つらいとき悲しいときに何度も音楽に助けられ、励まされました。いま私は音楽家となり、文化や芸術のチカラを通じて支援活動を行っています。
今回、このプロジェクトに喜んで参加いたしました。東日本大震災から12年ですが、復興支援を続けていること、それを私の信じる音楽のチカラによって実現するものだからです。チェルノブイリから37年ですが、3.11からはまだ12年です。悲劇はまだ終わっていません。
チェルノブイリや東日本大震災同様、今後のウクライナ復興にも長い時間と多くの支援が必要になります。この「希望の大地」は、現在ウクライナへの「応援歌」として歌っている曲です。その想いは、何度も困難を乗り越えてきたウクライナは、またこの悲劇をも克服できる、というもので、多くの災害や悲しみを乗り越えてきた日本の皆様にも共通します。今回は、東日本大震災復興支援の応援歌として収録頂きました。
これからも人々の心に寄り添う音楽活動を続け、東日本の更なる復興とウクライナの復興のためにチカラを尽くします。皆様の応援をお願いいたします。
ナターシャ・グジー
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