
ジョン・レノン
(小野洋子)
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「Imagine (The Ultimate Mix)」
John Lennon
Written by John Lennon / Yoko Ono
(P)2020 Calderstone Productions Limited (a division of Universal Music Group)/Lenono Music
Licensed by International / USM, A UNIVERSAL MUSIC COMPANY
Photo by Nic Knowland © Yoko Ono Lennon
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ヴァイノ・レイナルト
駐日エストニア共和国特命全権大使
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昨年、日本とエストニア共和国は友好100周年を迎えました。国内外での様々なイベントが開催され、更なる両国の絆を深める事ができました。2007年には、当時の明仁天皇と美智子皇后の公式エストニア訪問、2019年の今上天皇即位礼成殿の儀にはケルスティ・カリユライド大統領が訪日するなど、両国間の絆は揺るぎない友好関係を築いております。
エストニア国内でも、11年前の日本の大惨事を忘れていません。毎年3月11日には、追悼の集いが行われます。未だ苦境に立たされている被災地の皆様を応援するこのプロジェクトを支持いたします。
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前田憲雄 ジャズピアニスト |
前田憲男さまが旅立たれて2年4ヶ月が経ちました。しかし未だに多くの音楽家がコンサートで前田先生の作品を演奏されています。偉大な前田憲男の残した音楽は、「一般社団法人前田憲男音楽記念協会」様が後世に伝えてくださいます。
私たちNPOも、前田先生の音楽と共に、一貫して被災地支援活動を続けられ、特に被災地子供たちの未来を案じておられました前田先生のお気持ちと、東日本大震災復興を願っておられたお気持ちを、これからもお伝えさせていただきます。
JAFA復興継続支援プロジェクト 実行委員会
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さとう宗幸 歌手 |
昨年震災10年で、ようやく仮設住宅が撤去されました。さあ、これからが復興です。大震災11年を経過しても尚、帰宅困難地域の方々は故郷に帰れません。
車で、帰還できない地域を移動すると、主を失った家屋敷や田畑には、皮肉にも草木の緑が苦しくなるほど生い茂っています。裸足で走り回りたいと思うほどの大自然ですが、それは叶いません。この地域には自由と言う扉はありません。
自由と言う花も咲いてはいません。この草原が輝く日はいつの事だろう。
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塚原光男 五輪体操金メダリスト |
体操は、逞しい精神力と強靭な体力と独創力が求められます。オリンピック夢の実現のためにはこれらの力を高め、日々の練習を怠らずに努力してゆかなければなりません。大震災から11年、まだまだ苦境にたたされている被災地の方々や子ども達は大変厳しい日々を送られています。強い心と勇気と決断力をもって独創的な発想をもって夢をあきらめずに復興支援を継続してゆかなければなりません。私も出来る限り継続的な支援を続けてゆきます。
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加藤登紀子 歌手 |
震災から10年以上が過ぎ、「わせねでや」への懐かしさが募ります。この歌は、桂島の内海和江さんが、津波に遭った恐ろしさに言葉が出なくなり、その孤独な日々にこの歌詞を綴られました。ギター奏者のヒザシくんが曲をつけて私に声をかけで下さり、二人で内海和江さんを訪ねた時のことがありありと浮かびます。寒い日、早速炬燵に入り、和江さんの料理で乾杯したのでした。たくさんのミュージシャンが集まってレコーディングし、桂島でもライブが出来ました。残念ながら和江さんは2021年に亡くなりました。この歌の歌詞の通り、美しい故郷を忘れずに、「いつでも帰ってらっしゃい」と、声が聞こえてきます。この歌がこれからも歌い継がれていくことを願っています。
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あいはらひろゆき 作家 |
11年前のあの惨劇。目の当たりにしていない人々には薄い記憶として消え去ってしまうのかも知れません。被災地では、悲惨な記憶を強烈な心の傷として今尚苦しんでいる人々が残されているのです。現在の小学生以下の子供たちには、震災の記憶はありません。震災を知らない世代の子供たちに、如何に伝えるべきかを考え、昨年3月子供たちに語り継がなければならない命の物語【笑顔が守った命】を新たに出版いたしました。「東日本大震災の記憶を風化させないために」同じ思いで継続して取組んでいるこのプロジェクトを今年も応援します。
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佐藤敬子
福島しあわせ運べるように合唱団代表 |
2021年3月末福島県浪江町『思い出の品展示場』閉鎖…東日本大震災で避難を余儀なくされた町に残されたものや流されてきた物を本来の方に返す役割を担う。団は1年に2回訪れ自分の心引かれた物を写生。閉鎖に伴い物によっては処分…最後まで家族を待つ品々が整然とそこに在った。団員は「無責任な情」を覚える自分自身と向かい合わざるを得なかった…。これらの経験の重なりは必ず子供の未来開拓の礎になると私は信じている。そして私達はそこで働いていた方々の姿や品物を決して忘れない…。
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内藤淳一 作曲家・大学客員教授 |
~3.11東日本大震災の犠牲者と被災者への祈りと復興への願いを込めて~自分自身が身近な親せきや教え子たちをあの巨大津波で失ってしまったものの、今を懸命に生きる一人として私たちの明日の幸せを祈るような気持ち、そして失ったものの多さや挫折感、喪失感の中にありながらも、誇りや自信を胸に宿して歩む私たちの姿をこの作品に昇華させたいと願って被災直後の5月に作曲しました。短い曲ではありますが、そんな強い思いや決意を込めた作品になりました。
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