参加者からのメッセージ(2019年)

参加者からのメッセージ

「エストニア共和国は、昨年建国100周年を迎えました。今ではIT先進国として発展を続け、日本の総理大臣も来国交流する等、経済・貿易を始め両国の緊密な友好関係は益々発展しております。文化交流の面でも強固な友好の絆が結ばれ、東日本大震災、九州北部豪雨被害、西日本豪雨被害等の自然災害には、エストニア国内からも多くの支援や応援の声を届けさせていただきました。犠牲になってしまった多くの被災した方々に、心からお悔やみを申し上げます。未だ苦境を強いられている子供たちが、夢と希望を持ち続けられるように、このプロジェクトを応援させて頂きます」

ヴァイノ・レイナルト
(駐日エストニア共和国特命全権大使)

「Jaapani ema(日本のお母さん)と慕われた、ひとりのエストニア女性の涙から始まった日本・エストニア友好協会は、人や文化の交流を通して、両国の絆を大切にした活動を続けています。1980年代末に始まった「歌う革命」や「人間の鎖」という民族意識の興隆が実を結び、1991年9月6日に旧ソ連から解放され再独立を果したエストニア共和国と日本との文化交流の目的、更には東日本大震災で被災した方々を応援するため、被災した子供たちを継続支援しているこのプロジェクトを応援させて頂きます」

 

吉野忠彦
(日本・エストニア友好協会会長)

「あれから8年が経過します。被災直後の宮城県石巻の惨状は、今でも鮮明な記憶として蘇ります。
 来年は、2020東京オリンピックを迎えます。オリンピックは、競技スポーツを中核としながらも、国や地域の問題などについて、人類の英知を結集して、それらを連携・調和させながら、人類にプラスの遺産を残す目的があります。このオリンピア精神に照らして、震災復興が、日本にとってのプラスの遺産とならなければいけないと感じています。
被災した方々の生活再建、被災した方々の心の再建、取り残される方が居てはなりません。夢や希望を失ってしまった方々が、もう一度希望を持てるように「がんばれニッポン」を作詞作曲しました。この曲は、復興の応援曲として、そして大震災を忘れない為に。子供たちや学生たちに演奏を繋げて行って頂きたいと思っております。まだまだ応援して行きます。」

塚原光男

「平成30年11月25日(享年83歳)永眠されました。
前田憲男さまには、私どもの復興継続支援PJ当初から、大変なご理解とご協力を頂きました。
   ご自身でもチャリティコンサート等を開催するなど、被災地復興の状況や、被災した子供達の事を常にご心配なされておりました。
特に私達とって、「がんばれニッポン」を、子供たちが演奏できる吹奏楽版と、社会人・学生ビックバンドが演奏できるビックバンド版のオーケストレーションを手掛けていただけた事は、本当に名誉な事だと誇りに思っております。私たちは今後とも、前田先生のこの曲を子供達に伝えて行くと同時に、前田憲男さまが残した素晴らしい編曲の数々を伝えて行かせて頂きたく思っております。前田憲男さまのご冥福をお祈りいたします。」

前田憲男

「8年の月日が経過する被災地では、本当の意味での復興に向けて頑張っています。反面、新たな夢や希望を探しながら苦しんでいる方々もたくさん居ります。
それでも今必要なこと、少しづつ元の輝きを取戻して頑張っている被災地に、たくさんの方に来ていただく事だと感じています。岩手・宮城・福島、美しい風景と美味しいもので溢れています。
今、本当の被災地を知っていただきたいのです。
犠牲になった尊い命の追悼と夢や希望を失いかけている子供たちの為に今回も参加いたしました。」

さとう宗幸

「被災地仙台出身です。震災から8年が経過した仙台、今では震災の爪痕も分かりません。
子供たちだけの世界で、子供たちが助け合って、どんな事があっても笑顔で頑張る子供たちの世界が「くまのがっこう」です。被災して傷ついた子供たちや、彼らを必死で守った親や大人達に少しでも笑顔になってもらいたいとの想いで、ジャッキーとの被災地訪問を続けています。8年が経過した今、ジャッキーを応援してくれる子供達の中には、あの大震災後に生まれた子もたくさん居られます。子供たちが経験するには残酷過ぎる震災でしたが、この記憶を次の世代に引き継ぐ事も必要な事と思っています。被災地を忘れさせないため、震災の記憶を風化させないためのこのプロジェクト、その意義に賛同して今回も参加させていただきました。」

あいはらひろゆき